回覧の意味を考える2025年
回覧の意味を考える2025年
とあるDX仲間いわく
PCやスマホが使えない人には
回覧板って
必要ですよね
という言葉を聞いて
果たしてそうだろうか?
と思っています。
その言葉を聞いたとき
自分の住んでいる、町内の回覧板が思い浮かぶわけです
もちろん、
それが必要な人は居ます。
一方で
要らない人も居ると思っています。
いまどき
ご近所とはいえ
配達員でもないのに
敷地内にグリグリ入って行って
回覧板を投函する
のは
結構、ストレスです。
かといって、
要、不要を問うて
要の人だけで
回覧板を機能させると
お年寄りが、今までより長距離運ばないといけない事態が想定できます。
お年寄りが回覧板が必要で
若い人が必要ない
というのはタダの先入観とか偏見とか個人の感想です。
実際に、そのデータがあるわけではありません。
地域のお年寄りやご近所さんが
より楽になる仕組みが考えられるとよいのですが
1人で張り切る行為は
迷惑行為に繋がりかねないので
仕事でない以上は
保守的な選択を取らざるを得ない気がします
だって日本だもの