「自称」に潜む危うさ:実力のない人間が「曖昧な言葉」を好む理由
世の中には、聞くだけで少し身構えてしまう「自己申告」があります。
「心理学を勉強しています」
「コミュニケーション能力には自信があります」
「個人で活動しているデジタル人材です」……。
一見すると専門性やスキルがあるように聞こえますが、
現場で多くの実務に触れてきた人間からすれば、
これほど信用ならない言葉もありません。
なぜこれらの「自称」は、こうも薄っぺらく、
時には「危うい」と感じさせるのでしょうか。
そこには共通する3つの落とし穴があります。
1. 「俺ルール」という名の定義のすり替え
本来、学問やスキルには厳格な定義があります。
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心理学は、直感ではなく統計と実験に基づく「科学」です。
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コミュニケーション能力は、お喋りの楽しさではなく「目的を達成するための調整力」です。
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デジタル化(DX)は、便利なツールを使うことではなく「仕組みを変えること」です。
しかし、自称する人々は、これらの言葉を自分の都合のいいように解釈します。
自分の「主観」を「学問」と言い換え、
単なる「多弁」を「能力」と呼び、
組織の整合性を無視した「こだわり」を「ITスキル」と強弁する。
この定義のすり替えが、実務家との決定的な溝を生みます。
2. 「三現主義」の欠如
物事の本質は、常に「現場・現物・現実」にあります。
本当に力のある人は、現場の泥臭い事実やデータから出発し、
現実的な解を出そうとします。
対して、言葉だけで自分を飾るタイプは、
現場を見ずに「流行のワード」や「自分の頭の中の正解」を優先します。
彼らにとって、
心理学やデジタルは自分を大きく見せるための「装飾」に過ぎず、
目の前の問題を解決するための「道具」になっていないのです。
3. 根拠(ものさし)がないから「盾」にする
実力がある人間は、具体的な実績や数字で自分を証明できます。
わざわざ曖昧な言葉を盾にする必要がありません。
逆に言えば、「客観的な指標がない」からこそ、解釈が自由な言葉を使って自分を守るしかないのです。
「コミュ力が得意」という求職者に限って現場でトラブルを起こし、
「個人で動くデジタル人材」が組織のシステムを壊していくのは、
彼らが「全体の利益」よりも「自分の万能感」を優先しているからです。
結論:本物は「言葉」ではなく「結果」で語る
「心理学」「コミュニケーション」「デジタル」。
これらの言葉自体は素晴らしいものですが、
それを安易に口にする人間には注意が必要です。
本当に価値のある仕事をする人は、
もっと具体的で、もっと泥臭く、もっと謙虚に現実と向き合っているはずです。
耳ざわりの良い言葉に騙されず、その裏にある「事実」を見極める目を持っていたいものです。
