「寄り添う」という名の支配――シニア向けスマホ指導に潜む“権威の罠”について
デジタル活用を推進するコミュニティの中で、ある種の「違和感」を抱く指導者のスタイルが話題になっています。
一見すると「シニアのために私財を投じ、現場で汗をかく情熱的な指導者」という姿ですが、その言説をロジカルに紐解いていくと、現代特有の「権威依存型老害」とも呼べる構造が見えてきます。
1. 矛盾する「AI研究員」の肩書き
その人物は、自らを「AIの研究員」という高度な専門性を持つ存在として語ります。しかし、その口から出るのは「講座でAI生成物を使うな」という、テクノロジーの可能性を否定する精神論です。
本来、最先端を知る立場であれば、AIがいかに個人の経験を補完し、シニアの生活を豊かにするかを説くはず。しかしここでは、「自分は特別(研究員)だが、他者は未熟だから使うな」という、権威による知識の独占が見え隠れします。
2. 「出版」を免罪符にした独裁
「東京の出版社から本を出した」「増刷を重ねている」という事実は、確かに一つの実績でしょう。しかし、それが「他者の意見を『間違いだ』と断じる権利」にはなりません。
「自分の本が教科書だから、これが唯一の正解だ」という思考停止は、多様な学びを阻害します。出版物を、読者の自立のためではなく、自身の講座への囲い込みツール(=依存の入り口)として利用する姿勢は、実用書の本来の目的から大きく逸脱しています。
3. 「寄り添う」という言葉の武器化
最も巧妙なのは、批判に対して「それでも寄り添うことが大切なんです」と返すロジックです。
文脈を読み解けない読解力と言葉の本質を探る想像力が欠けているというのもあるかもしれません。
一見、慈愛に満ちた言葉に見えますが、実態は「寄り添う私のやり方を否定する者は、シニアの敵である」という、一種の聖域化です。対等な議論を「寄り添い」という抽象的な美徳で封じ込める手法は、建設的なデジタル化を阻む壁となります。
4. シニアの不安を「燃料」にする構造
「スマホは難しい」「聞く所がない」というシニアの切実な不安。それを解消するのではなく、「自分だけが理解者である」という物語の燃料にしているのではないか――。
本当に必要なのは、指導者がいなくてもシニアが自立できる環境作りです。しかし、権威を誇示し、依存を促し、他者の手法を排除するスタイルは、結果として「指導者という教祖」がいなければ何もできない人々を量産する結果に繋がりかねません。
結びに代えて
「善意」は時として、検証や批判を拒む最強の盾になります。しかし、デジタルという進化し続ける分野において、特定の「足跡(過去の出版物)」や「自己流の経験」に固執し、他者を否定し始めたとき、その活動は支援ではなく「支配」へと変質してしまいます。
私たちが本当に「寄り添う」べきなのは、指導者のプライドではなく、利用者の自由な可能性であるはずです。
若者の思考から学ぶ姿勢のないシニア指導者は、結構多いのかもしれません。
