39度の熱で弁当を要求する旦那と、「離婚しろ」と叫ぶ世間の浅はかさ
ショート動画って見たいと思わないものも流れてきますよね
39度の高熱を出して寝込む奥さんに対し、
「弁当を作れ」と要求する旦那さんの様子を奥さん自身が投稿し、
コメント欄には
「離婚しろ!」という過激な声が殺到したというものです。
この一連の出来事から見えてくる、
現代のSNS社会における「思考停止」と「正義感の暴走」について、
深く掘り下げてみたいと思います。
1. 旦那の行動は「許しがたい」が「珍しくない」
まず、旦那さんの行動について。
高熱の妻に家事を要求するのは、
妻の体調への想像力が欠如しており、
思いやりに欠ける行為です。
しかし、
驚くべきこと?に、
ワタシとGeminiさんの議論では
「もちろん良いことではないが、その程度の行動をする人は多々いるだろう」
という冷静な見方が示されました。
これは、
「ひどい旦那」はニュースの中の特殊な存在ではなく、
家事・育児に対する固定観念や自己中心的な都合を優先することで、
ワタシたちの日常にも潜んでいるリアリティを指摘しています。
ワタシたちは、
旦那さんの行動を断罪する一方で、
「世の中の凡庸な無理解」の一つ
として捉える冷静さも持っておく必要があります。
2. 「恥さらし」は旦那か、奥さんか
この件で最も重要な視点の一つが、
「恥」の問題です。
旦那さんが妻に弁当を要求したことは、
確かに旦那さんの「恥」です。
しかし、
それを夫婦間のプライベートな問題として解決せず、
あえて不特定多数に公開し、
旦那を晒し上げた奥さんの行動は、どうでしょうか。
※個人的なスタンスとして、ワタシは旦那さん側でも奥さん側でもありません。
両方とも知り合いに居てほしくないな、と思うくらいです。
ワタシとGEMINIさんは、
奥さんの行動が
「恥を晒すことを恥ずかしいと思わない」という
価値観の表れではないかと議論しました。
奥さんの目的は、
共感や承認、
あるいは旦那への社会的制裁かもしれませんが、
結果として「家族の恥を世間に広めた」という側面が残ります。
これは、
私的な問題を公の批判の場に持ち込むことへの倫理的ハードルが、
SNS時代において極端に下がっている現状を反映しています。
3. 「離婚しろ」と叫ぶ凡庸な人々
そして、この動画を見て「離婚しろ」とコメントを書き込む人たちへの視点です。
プロのカウンセラーや相談員であれば、
クローズな環境で、
当事者の未来や状況を総合的に勘案した上で
「離婚」を選択肢の一つとして提示することはあります。
しかし、
面識のない第三者が、
動画という一方的な情報と、
自身の「正義感」を満たすためだけに、
「テンション上げて」安易な結論(離婚)を押し付ける行為は、
あまりに浅はかです。
これは、SNSにおける「思考の浅さ」の象徴です。
※そこまで、ワタシは言ってませんw
極端な結論への逃避:
複雑な夫婦間の問題を、最も過激で分かりやすい「離婚」という断罪で処理する。
安全圏からの無責任な発言:
自分の生活に何のリスクもない場所から、
他人の人生の重大な決断を軽々しく要求する。
彼らのコメントは、
他人の問題への深い関心ではなく、
「集団同調性」や「強い言葉を使うことで自分が正しい側にいるという優越感」
を得るための行動に過ぎないのです。
猫で言うところの踏み踏みであり、
犬で言うところのクッションヘコヘコです
まとめ:私たちに必要な「複雑性を受け入れる視点」
結局のところ、このショート動画の炎上騒動は、以下のような構造を示しています。
- 凡庸な無理解を持つ旦那による、思いやりのない行動。
- 自己の目的(承認・制裁)を優先し、家族の恥を晒す奥さん。
- 思考停止した正義感で、安易で過激な結論に飛びつく大衆。
私たち視聴者に求められるのは、
断片的な情報だけで「断罪」に参加するのではなく、
人間の行動や関係性の「複雑性」を受け止め、
安易な結論を押し付けない冷静な視点ではないでしょうか。
