死とは人に忘れられた時
死とは人に忘れられた時
ということで
お盆です。
物質的には死んじゃってるんですけども
昔、一緒に暮らしていた
祖父母のことは
忘れていません
過去
人生を振り返って
普段思い返さないけど忘れていた人
完全に思い出せない人(時代や場所に、こんな人いた)
少なからず
何人かいるはずです
ふと
思ったのですが
AIについて勉強をしていると
AIやロボットに
人格が乗った場合
(マンガとかでありそうな設定)
たとえば
AIたまちゃん
(オンラインではこんな感じで名乗っています)
がデキた場合
もはやそれは
ワタシであって
未来的な思考以外は
恐らく完コピ状態になると思うわけです。
そうすると
昨今の中小企業における
事業継承問題
現社長のAIを作成した場合
事業継承する必要なく、同人格として扱われないのか
ということを思いついたわけです。
ようするに
経営能力や判断、決断が
本人と同じ場合
なんら支障もないし
事業承継に係る
いわゆる
相続税みたいなものを
払わなくても良い気がします。
つまり
本人→本人
※ゆーたら、手術や整形みたいなもの
なわけなので
いよいよ
貨幣経済が無くなってしまう
のではないか
とも考えます。
お金という権利が
一つの人格から
放出されなくなる可能性すらあります
※不老不死の世界
以前、
どこかで話したこともありますが
日本の昔話のエンディングは
金銀財宝
ザックザク
西洋のおとぎ話のエンディングは
幸せに暮らしました
こうあるように
日本人は基本
金
を第一に考える文化です。
というより
初等教育から
さりげなく刷り込まれています。
お金持ち=幸せ
貧乏=不幸せ
まぁ
間違ってもいないのですが
貧乏で幸せ
と言って居る人は
タダのやせ我慢か
お金の力を知らないから
いって居るだけで
お金持ちになりすぎて
一周回って貧乏が良いと
いう人が居たら
たぶんそれが本物です。
進化したAIを超えるのは
数値ではない
情緒的な幸福を手に入れた人かも知れません。